2020年さよなら

2020年は全てプログラミングに消えた。

一日9時間365日プログラミング効果はやばい。

ところでよく考えれば日本と民主主義は相性が良くない。

特に現代ではあまり民主主義が良く機能していない。若者はほとんど投票に行かない、まともな奴は労働力として搾取されるから政治について考える暇がない。投票率は50%前後、50%を割ることもあった。統計的には投票率が40%だろうが30%だろうが結果は大して変わらない気がする、一定の母集団をどのように抽出しようとほとんどの場合結果は大きくは変わらない。一方で国民が母集団で選挙に行く人が放った票を観察すれば選挙に行ける人というバイアスがかかっているからこれに関しては民意を正しく反映していないと言える。投票率というより投票した奴の意見だけ聞いているから民意を見るという点でおかしい。

だから誰でも簡単に投票ができる仕組みを作らなければならないが、簡単にしすぎると日本でも2020年のアメリカ大統領選挙のクソ不正祭りみたいな事態がさらに簡単に起こり民主主義の根幹が崩れる。

一番投票に行かなければならない日本人は学校や仕事に縛られて投票に行けない。

個人の問題で考えれば本気で行こうと思えば皆行けるだろうが全体レベルで考えた時は学校や仕事をしている人は投票行動に対して常に負の圧力を受けているから確率収束後確実に一定数は学業や仕事のせいで投票に行かなくなる。

政治は結局は資源配分の手段で、資源を無限にすれば皆ハッピーになれる。資本主義も民主主義も太陽エネルギー全制御と人間の労働ほぼ全部自動化までの繋ぎでしかないからそろそろ古くなってくるし、2020年で既にガタが来てる。資本主義はともかく民主主義は残るかもしれないけど今はもうどういうわけかシステムが良く機能していない。古代ローマギリシャか忘れたけどその時代からあったシステムをなんでまだ使っているのか?人口の規模も環境も全然違うのに。 人口が増えまくった時には社会主義の方が良く機能する。中国やロシアをみたまえ。ついでにヨーロッパも。日本は強い指導者が必要だったのかもしれない。リーダーとしてトランプさんが就くべきだったのは他でもなく日本だった。

一方で現状のシステムは完璧ではないが未だ最善ではある。だから批判をするだけで代替案は到底出せない。だがこうして批判をするのは日本の若年層が使いつぶされていくのを感じるからである。彼らは明らかに優秀で最高の労働力なのに資本家側がうまく扱えていないし、政府は金融政策に躍起で実際の市場は締めているから"構造的に"給料は上がらない。供給過多でデフレが起きるいっぽう金があればものを買う人もいるのに上から金は降りてこない。 トリクルダウンは完全に幻想だった。デフレで冷え冷えなのになんでインフレを極度に怖がっているのかわからない。 財務省は明らかに足を引っ張っている。 なんでもかんでも批判するのは嫌いだけど最近の政権は安部様の外交もなくなってしまったし褒める所がない。省庁内部の改革はやらなければ世界からさらに置いて行かれるというだけで誰かがやらないといけないにしろ功績とは呼べない。

 

日銀どうすんのマジ

 

現政権の金融政策は理論上は良かったのかもしれないが、実際には予測されたほどにはよく機能していない。

特に日銀による金融資産の大量購入がやばい、2010年から100億~1200億円のあいだで毎週とかほぼ毎日のペースで金融資産を日銀が購入している。これは金融資産に投資するような資産があって教育も受けているような人間がさらに資産を増やして行くのを助長するだけである。しかし理論上はこの政策は正しい。金を持っていて教育を受けている人間は金をどう使えばいいのかをよく知っているはずであり、彼らが有用な場所や目的に金を使ってくれれば、社会や経済がより発展する方向に寄与してくれるはずである。しかし実際には日本は低成長から抜け出せていない。つまりはこの理論上の前提が間違っていたのではないか。金を持っている連中はこの理論が言う程には高尚な投資思想などは持ち合わせておらず、単に当該金融政策で儲けたお金を自分の力と勘違いし、私利私欲に使い、有効に活用されるべきだった資源が彼らによって無駄使いされたのではないだろうか。もしくは別の理由で政策がうまく機能していないか。

 

ところでアベノマスクを散々メディアは叩いた来たが、あれにはせいぜい260億円しか使われていない。日本の人口で割れば一人260円以下。

一方で最近は経済の調子が落ち着いてきたから以前のように頻繁には行われていないが、例えば2020年4月なんかは毎日のように1200億円分の金融資産を日銀が購入していた。頻度と規模は異なるがこの金融政策は2010年あたりからずっと行われている。 叩くならここじゃねえのか。

日銀は金を刷りまくって金融資産を大量購入、ETFの運用手数料を払う以外ではここに税金が投じられているわけではないが、これがインフレを起こせば、それは経済理論上実質的な増税と変わらない。

これって結構ヤバイ問題なのにテレビの視聴者じゃ理解できない(とメディアが勝手に決めつけている・もしくは実際に数字が取れない)からこれを問題視するメディアは一部の経済誌だけである。

総理がカップラーメンの値段がわからないとか漢字が読めないとか言って降ろされてた2008年前後の国民がやばかった時代よりはマシになったけどまだまだ民主主義の割には国民が何も考えて無さ過ぎる。

指数連動型上場投資信託受益権(ETF)および不動産投資法人投資口(J-REIT)の買入結果

キリスト教高負荷(Christianity Overload)

かねてから神に活躍の場を与えて欲しいと祈っていた。幸いにも今は社会に貢献する機会を神に与えられている。

一方でニーチェUeber Menschの思想やラスコーリニコフの考え方とは相容れないから中堅ぐらいの貢献を任されていると思う。

 

「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」(ヤコブ4:7)

 

他人と比較しているとそこで止まる。あなたの周りにいる人がある分野において優れた人間である確率は統計学的に少ない。あるとすればそれはあなたがそのレベルに達した後の話である。一方でネット上のトッププレイヤーと自分を比べることは最も愚かなことである。鬱を誘発する行為であり、さらにはモチベーションが重要である鍛錬の場においてそれを奪う行為に他ならない。

自分と自分を比較していると気付けば他の人をごぼう抜きしている。

競争的なゲームの腕前でも、英語の実力でも、プログラミングでも同じことが起きた。

自分を昨日よりより良い存在にしようとしてそれを継続することで、気づけば平均を遥かに上回る実力を得ている。私の弱点は、一方で、topに食い込めないことである。ゲームでも中堅止まり、英語力はかなり上位に食い込んだがまだまだ上を見ればきりがないし、英語の筆記でうなるようなスコアを取れるわけでもない。上位層としてそこそこできるの域を出たことがない。

 

思えば人は自分の可能性を最大化する義務があるように思える。

能力がなくとも、人のためと思って一生懸命に働く人がいる中で、それを達成する力のある人が自堕落な生活を送っているのは聖書が示す通り、罪であるように確かに思える。

 

故に私は自分の能力を有効に使って人類に多大な貢献をしたい。

そう思いながらも、自分のやっていることに疑問を感じる側面もある。

たとえば、今私ができるのは英語や日本語で情報を発信して人々を啓蒙するか、プログラミングで何か小規模なことをする、または投資行動を取るくらいである。

ブログに関しては規模の拡大性があり、一見よさそうではあるが、あまりにも人が来てくれないため、微妙と言わざるを得ない。プログラミングに関しては、自分の寝ている間も動いていろいろな人の役に経つプログラムを開発する潜在能力はあるものの、現状やってることの規模が小さい。投資行動は規模の拡大性があるが、資金も経験も十分にないため、少ない資金で練習及び勉強をすることしか今はできない。

 

一方で将来の可能性を考えた時には、上記の行動のどれをとっても規模を拡大することが可能で、将来性には富んでいる。故にあきらめずに試行錯誤の精神で挑戦していきたい。

人類の叡智を活かせているか part1

これまでに生きた人達の経験が本などの形で蓄積している中でそれらを無視して生きているように見える人がいる。

一方で人類の叡智を完全に無視することはできない。例えばスマートフォンは色々な分野の人々の努力の塊であるが、一度発明されてしまえば、後から生まれた人々は簡単のその利益を享受できる。後から生まれたという理由だけであまりにも便利すぎる。

 

今まで生きた人達が残した知識には少なくとも4種類ある。

一つには見ただけで役立つ情報、料理のレシピとかパソコンの組み立て方など見て真似するだけで人類の経験を利用できるもの。

2つ目は複雑性が高く、情報が参考の域を出ず、自ら実践や練習をしなければ自分のスキルにならないもの。言語、文章力、プログラミング(自分の知っている分野以外例が思いつかない)

3つ目は2つ目の特徴に加えて、体を使う必要があるため知識だけでは習得が不可能なもの。歌の歌い方、スポーツがうまくなる方法など。

4つ目はそれ以外、研究結果など。

 

これらは複雑さの度合いが違うだけで本質的には一緒なのだろうか。

3は明らかに異質に見える。しかしながら、世界一のアスリートや歌手を生み出す方法論はまだ体系的に文書化されていないだけで存在するはずである。

2は情報の複雑性及び量が多すぎて文書や、たとえ動画のような形であっても視覚情報のみからの学習には膨大な時間が必要で、やはり自らの認知能力ではなく実践的な学習能力を活用して習得に臨むことがより効率的なのだと思われる。ここに脳の異常な性能が垣間見える。また4は単に文書であり、研究論文の場合は結果だけ利用することができるのでむしろ1に近い性質を持っている。

そう考えると、知識という物はどれも複雑性の違いを持ってはいるが、本質的には同じでもしかすると全て文書化が可能かもしれない

 

続く

ランダム生成文字集合

 最近仕事が本気出してきて忙しくてやばい、たぶんもっと忙しい人はいっぱいいると思うけど慣れてないからきつい。時間はそこまでタイトじゃないけどタスクに使うエネルギーが高いからめちゃ疲れる。脳を休めたいけどプライベートでやる趣味はあまり脳が休まるものがないから客観的に考えてやばいかも。

 インターネットはやばい、理性の力がインターネットの力と合わさるとほぼすべての真理に到達することができる。ていうか大学でやるような勉強もほぼ全てインターネット授業で完結するからやる気があれば大学なんか行く必要ない。一方で社会はそれに気が付いていないから構造的に大学に行くしかない。これは資源の無駄使いか何かだろうか?いや違う大学は多くの教授に職を与え、学生としていけば友達もできる。ここに大学の価値がある。そこそこきつい勉強をしながら人間関係に揉まれることがいい人間を作るのは容易に想像がつく。インターネットは一方で格差をさらに広げる媒体になっている。インターネット環境があってやる気がある人は知識をどんどん広げていく。

 勉強しすぎると他の人が有能に見えて人間が怖くなる。勉強すると確かに賢くなって視野が増えるけど、たまたまランダムで生まれ落ちた自分が回りより賢いと考える理由がないから無意識に相手も同じくらいの能力があるんだろうと考える。こうなるとやばい無限ループに陥る。

 こっちがこれをしようとするということを相手が予測していることを私が知っていることを相手も知っているかもしれない。。みたいな。一体何層あるんだ。

 ところで最近なぜか持続可能性という言葉、観点が頭から離れない。仕事、投資、私生活に至るまで全部これ。仕事は今後数年続けるために力を適度に抜く。食事はずっと食べ続けても問題のないものを優先的に食べる。持続可能性がなければどっかで折れる、長く続けたかったらその持続性の欠如を早めにキャッチして修正しなければいけない。

 一人暮らしもそう、キッチンの掃除とか怠ってると頭の中で持続可能性アラームがなる。うるせえ 正直頭の中うるさすぎる、お菓子も食べさせてくれない、高い買い物はアラートがうるさくて止められる。これなにお前マジ誰。

 昔からずっと周りで働いてる人達が仕事の文句ばかり言っていた、こっちはそこそこやる気のあるニートか学生の時だったから少ない労働意欲を更に奪わないでくれと切に願っていた。働き始めて今度は自分がそうなりかけている、これが人生なのか。でも本当に仕事がいやってわけじゃない、いやだったらすぐ辞める性格だから本当に嫌だったら一週間でやめてる。もう3か月も続いてるし、全然辞めたいと思わない。実際楽しんでるし愚痴るのが楽しいだけかも。一般的には労働は楽しくはないけど悲観するものでもないと思う。学生がんばれ。

 いつからか自分の脳みその力を金に換える仕事がしたいと願ってきた。今はそれができてる。ありえない。

 一般的に言って会社の社長ってすごい、人に職を与えている。そしてそこで職を得て働いている人はだれかを幸せにすることができる。これが価値なのか。

 俺もそれがしたい。ネット上でめちゃくちゃ賢いのに活躍の場がない人を少なからず見てきた、仕事を創造して活躍の場を提供したい。日本に来る留学生とか外国人にも活躍の場を与えたい。全部社会のせいにするのはクソだけど使える人達がいるのに活躍の場をまだ提供できていないのは社会または労働市場が全然効率的じゃないのが原因に思える。

 コロナはクソだ、データを見て収まってきたかなと思っていたが実際に働いている人の話を聴くに経済がやばい。地球の資源をすごい勢いで使いつぶす代わりにどんな人間もなんらかの仕事ができて経済的に豊かなコロナ前の世界。一方で資源が人間を養うだけのほぼ最低限だけ使われる代わりに変化に対応できるか、もともとコロナに強い業種で働いていたラッキーな人だけが生き残れるコロナ禍の世界。どっちがいいかな。やっぱ中間がいいよね。超俯瞰的な目で見るとコロナってかなりポジティブなのが本当に嫌な部分。改革は歴史的に大事件の後に起こることが多い。コロナをきっかけにいい方向に向かえばいいけど。

 

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マタイによる福音書77節から12

7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。8だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。9      あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。10魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。11このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。12だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

最近カラマーゾフの兄弟を読んでいます、最高です。

本を読むことからしばらく離れていると、思考がどんどん真理というものからかけ離れてゆき、何年も続くとしまいには凝り固まった考え方ができる。

思考は本を読むことによって定期的にチューニングしなければならないと断言できる。

ところで、冒頭で書いた聖書の箇所は真理である。

仕事で忙殺されており説明するのが面倒くさい。

ここで例文を使った英語のレッスンをします。

真理とはself-explanatory(自己説明的=自明)である。

 

親との関係と人格形成

親はたぶんある程度教育するだろうから子供は親の経験で得た知見と、親の良い面に学ぶ機会がある。一方で親の最も悪い面は反面教師で子供にはあまり受け継がれないのではないかと思う。

だとすると人間は完璧じゃない(悪い性質が一つはある)と仮定した場合、親が考えてもいなかったような予測不可能な性質が今度は子の悪い性質として現れる可能性がある。

このプロセスの中で親がコントロールできるのは自分の経験や知見を子に教えることである。そうなると子供の人格形成をより良いものにするならば、親が勤勉で色んな知識や知見を教え込めるのが最適に思える。しかし勤勉という性質が子によって悪い性質だと認識されれば単純にやばい。こう考えると人間の人格形成が成功するかどうかは理論上運まかせに思える。昔から残っている言葉や年取った人が言っていることを勘案するにこの運任せをどうにかするのにはやはり子を愛することが重要である気がする。

また、子の人格形成では親と接する機会や会話の質がかなり重要に思えるが、実際にはほとんどの人が仕事で忙殺されており、子供に真面目に接する時間もエネルギーもないのではないかと思う。一方で不労所得の富裕層は教育に力を注げるから貧困・格差の再生産が起こるのは明らかである。

 

私の両親は貧困家庭から私という人格を生み出すために文字通り枯れ果ててしまった。

私自身は父の不可解なまでに強靭な精神力と母の何も気にしない性質を良いものとして受け継ぎ、金銭的な緩さと勉強をしない事は悪い性質として反対の性質を得た。この過程で両親はかなり疲弊してしまったのでその結果としての私は両親に報いるためにも自分の才能を無駄にしないためにも社会に貢献しなければいけないという義務感が今までもあったし今もあるが、そうすることを社会が許してくれなかった時期は非常に歯がゆく悔しいものがあった。例えば絶対に貢献できると確信しているのに落とされる公務員試験や就職試験。 幸いにも今はやりたい事をやらせてもらっている。つらいことはいっぱいあるけど正直神の導きを感じざるを得ない。そろそろ十字架のネックレス買うかな。