日常は簡単に崩れるかもしれない

コロナウイルスに関するニュースを見ていると、ふと去年の台風の時近所のスーパーから飲み物と食べ物が姿を消したことを思い出した。

思えばそこから二つのことがわかった。

一つには平常時の物流は絶妙なバランスで保たれており、災害のようなことが起きて人々の気持ちが変われば、たちまち物がなくなる。反対に供給側についても、何らかの理由で売れていたものが全く売れなくなり、とても余るということも考えられる。

コロナウイルスの件でマスクがなくなったのは前者の好例であり、これからこれが食料品で起こると考えると恐怖しかない。

またもう一つには、スーパーから台風の準備として食料品が消えたことは、多くの人が合理的な判断を下せるという証拠であり、また一人ひとりが自分と同程度に理性的であることを示唆している。確かに自らが人々よりも賢いとする根拠はどこにもない。あまりにも多くの人が自分の能力を平均以上だと考えているという極めて悲しい事実からも、自分を凡人だと考える方が妥当だという結論に至る。

 

ところで、コロナウイルスに関して、あまりにも悲観的な人々が見受けられるが、あながち間違っていないかもしれない。病院に人々が入れるうちは病人を無理やり生き延びさせる例もあるかもしれないが、病院が定員オーバーになった時、悲惨な状況に陥るのは簡単に予測できる。中国政府は当然、それを予見し病院を増設している。

平常時の需給バランスで成り立っているものが非常時に対応できるはずがない。これは去年の台風の大切な教訓である。あの台風は私の部屋の窓ガラスを持っていったが代わりに良いものを残していった。