人類の叡智を活かせているか part1

これまでに生きた人達の経験が本などの形で蓄積している中でそれらを無視して生きているように見える人がいる。

一方で人類の叡智を完全に無視することはできない。例えばスマートフォンは色々な分野の人々の努力の塊であるが、一度発明されてしまえば、後から生まれた人々は簡単のその利益を享受できる。後から生まれたという理由だけであまりにも便利すぎる。

 

今まで生きた人達が残した知識には少なくとも4種類ある。

一つには見ただけで役立つ情報、料理のレシピとかパソコンの組み立て方など見て真似するだけで人類の経験を利用できるもの。

2つ目は複雑性が高く、情報が参考の域を出ず、自ら実践や練習をしなければ自分のスキルにならないもの。言語、文章力、プログラミング(自分の知っている分野以外例が思いつかない)

3つ目は2つ目の特徴に加えて、体を使う必要があるため知識だけでは習得が不可能なもの。歌の歌い方、スポーツがうまくなる方法など。

4つ目はそれ以外、研究結果など。

 

これらは複雑さの度合いが違うだけで本質的には一緒なのだろうか。

3は明らかに異質に見える。しかしながら、世界一のアスリートや歌手を生み出す方法論はまだ体系的に文書化されていないだけで存在するはずである。

2は情報の複雑性及び量が多すぎて文書や、たとえ動画のような形であっても視覚情報のみからの学習には膨大な時間が必要で、やはり自らの認知能力ではなく実践的な学習能力を活用して習得に臨むことがより効率的なのだと思われる。ここに脳の異常な性能が垣間見える。また4は単に文書であり、研究論文の場合は結果だけ利用することができるのでむしろ1に近い性質を持っている。

そう考えると、知識という物はどれも複雑性の違いを持ってはいるが、本質的には同じでもしかすると全て文書化が可能かもしれない

 

続く