社会貢献の道筋が見えない

ネットで自分より若い人間を見る機会が増えてきた、才能ある人達も見てきた。しかし彼らが堕落し、才能を無駄にしていくのも多くみた。思えば自分にたいした才能は無かった、よーいドンの競争で勝ったことは一度としてなかった。ゲームは他の人が通常の生活をしている間にずっと練習をしていたからそこそこ勝てた、勉強はとにかく続けてきたから形になった。だから大きな才能がある人が堕落していくのを見るのはつらい。

それなりに継続してこられたのは以前学んだ倫理学の影響もある。自分の潜在能力は最大化しなければならない。そこから転じて、やはり有限である資源が自分に注がれている以上、その効果は最大化しなければならない。自分に資源が注がれて、それを無駄にするのならばその資源は他の人が受け取るべきであった。ここで疑問が生じる、どのような尺度で受け取った資源の効果を最大化しなければならないのか。聖書を読んでみると、いわゆる黄金律の箇所が何か教えてくれそうだ。これを拡大解釈すると他の人への貢献は推奨されているように読める。

ここで個人的に思うことがある。人に貢献する道筋が全然見えない。どうすればいいのだろうか。資本主義を信じて、貨幣を受け取っているからある程度の貢献をしていると考えていいのだろうか。しかし一方で英語圏ではBullshit jobといって社会的意義の無い、本来なくても良い仕事を多くの人がしていると主張する人もいる。努力の方向性をもう少し考える必要がありそうだ。

 

参考:

 マタイによる福音書 22:37-40 

エスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。